温暖化ショックとオイルショックと (4)

対症療法

国立公園、国定公園というと子供の頃蒐集していた切手を思い出す。国立公園が写真をベースに国定公園は絵をベースに切手のデザインをしていた。 USA にも National Park というシステムがあり全米各地の自然と、かっての大統領などの生家が指定されている。

リンカーンの場合は、三つの場所が国立公園として保存されている。生まれた丸太小屋はケンタッキーの地に再現されている。去年が生誕 200 年だったから、200 年も前の丸太小屋は当然残っていない。坂本竜馬が生まれたのが 1836 年でリンカーンはその 27 年前に生まれている。少年期から青年期まで過ごしたインディアナの南部 (現在は Lincoln City と言う)、そして大統領になるまで過ごした家が残るイリノイのスプリングフィールド (Springfield) が国立公園になっている。


(Music: Wonderland by Maksim)

(リンカーンの家族が辿ったルート)

ケンタッキーの地には、近くにマンモス鍾乳洞 (Mammoth Cave) の国立公園があり、町も近くあるので多少賑やかである。それに比べてインディアナの方は田舎でまわりにはなにもない。私が訪問した時は春先ということもあり、博物館には数人しか訪問者がいなかった。リンカーンはオハイオ川に行って渡し舟の手伝いをして小遣いを稼いだという。そこで、オハイオ川へ出てみた。ところが何もないところに忽然と冷却塔が現れたのである。原子力発電所かと思ったが、石炭による火力発電所だった。下の写真で、冷却塔のそばにある煙突は 310 m だから東京タワーと同等の高さである。

 (Rockport, IN)

火力発電に関連して CO2  の排出量の概観である。こうした火力発電所からの CO2  の排出量が、人の活動で出てくる CO2 の中では最も多くて、世界の約3割を占める。1997 年の COP3 の京都議定書において、日本は温室効果ガスの排出量を 2008 年から 12 年までの期間中に、1990 年の排出量より 6 % 削減することを約束している。さらに2020 年までに 1990 年比 25 % 減を目指すという目標を掲げている。

http://www.iae.or.jp/energyinfo/energydata/data6009.html

次に国別の CO2  の排出量は下図のようである。青色の国は京都議定書で削減義務がある。緑色の国と中国は京都議定書で削減義務がない。また、アメリカは京都議定書に参加していないので削減義務がない。

http://www.iae.or.jp/energyinfo/energydata/data6009.html

一口に温暖化ガスを削減すると言っても非常に金のかかる話である。アメリカで 2012 年までに 7 % の CO2 を削減するのは 240 万人の職を奪い 3000 億ドルの負の経済インパクトがあるとの試算がある。これは一家族あたり 2700 ドルの減収となり、この所得減による州の税金からの減収は 931 億ドルに相当することになるという。また、CO2 を削減したからといっても地球の温度を変えられるという保障はない。

国立公園の話を続ける。国立公園の中で一番訪問者の多いのはノースカロライナとテネシーの間にあるグレート・スモーキーマウンテン公園である。この公園の設立には日本人が関わっている。大阪出身の George Masa こと Masahara Iizuka (1881-1933) である。1905 年、彼が24歳の時に鉱山学を学ぶためにコロラドへ来た。明治の時代なので相当昔である。その後、父親が亡くなり学費が滞ってノースカロライナのAsheville へ流れついた。今も残る由緒あるホテル (Grove Park Inn) で働いた後、写真屋を経営した。そして、グレート・スモーキーマウンテンに魅せられて山々の写真を撮りながら、自転車の車輪で作った歩測機で距離を測りグレート・スモーキーマウンテンの地図を作成した。これらの写真と地図が国立公園設立へと結びついたのである。1929年の大恐慌の株暴落で殆どの金を失ったらしい。ひとり、病院で亡くなったという。亡くなった翌年に国立公園が設立されたのである。グレート・スモーキーマウンテンのピークのひとつが Masa Knob と名づけられている。

グレート・スモーキーマウンテンはアパラチア山脈の一部である。アパラチア山脈は製鉄に必須の粘結炭(原料炭)が豊富である。北はペンシルベニアからウェストバージニアを経てケンタッキーまで今なお石炭が生産されている。ケンタッキーの Blue Heron という石炭の廃坑跡は、Big South Fork という国立公園内の屋外博物館になっている。この炭鉱は 1937年 から 1962年 まで営業された。昔は石炭を運んだ鉄道に、今は観光列車が一日数回走る。

(Big South Fork 国立公園と Blue Heron 鉱山の屋外博物館) 

アパラチア山脈の石炭は、製鉄業の斜陽化とともに生産量も落ち込んだ。アメリカの製鉄業の衰退は目を覆うばかりである。ユタで重質油の研究をした後、石炭の研究を始めるためにペンシルバニアのリーハイ (Lehigh) 大学へ来た。この大学は、東部のベツレヘム (Bethlehem) という町にある。そこにはかって、ペンシルバニア西部のピッツバーグと同様、製鉄業の隆盛を極めたベツレヘム製鉄所があったところである。現在はスクラップ化されたプラントがさらけ出されている。ベツレヘムスチールの研究所は大学へ寄贈されている。

(Bethlehem Steel)

日本の製鉄産業はここまではならなかった。現在の日本では、石炭の半分は製鉄用の原料炭として使用されている。火力発電の四分の一は石炭が燃料である。CO2排出量を減らすということはこれらの産業構造を変えるということでもある。結局は職業の数を減らし経済活動をにぶくする。科学的根拠もなくいたずらにCO2を減らすべきだというわけにはいかない。

エネルギー密度が小さく、絶対量も僅少ない風力発電、バイオ燃料などの代替エネルギーで、火力発電を置き換えるのは根本的な解決とはならない。経済活動を縮小するしかない単なる対処療法である。

アパラチア山脈の続きである。上記で述べたベツレヘムからピッツバーグへ向けて東から西へ車で行くと、州都のハリスバーグ (Harrisburg) を過ぎたあたりから正面に南北に連なる盛り上がった山が目の前に立ちはだかる。これがアパラチア山脈で、西のオハイオ州まで山が続く。ハリスバーグはフィラデルフィアとかピッツバーグに比べると小さな町だが州の中央よりということで州都になっている。

ハリスバーグの南東10マイル (16 km) のところのサスケハナ川 (Susquehanna R.) に中州がある。これがスリーマイル島 (Three Mile Island) である。長さはスリーマイル (約5 km) で左下の写真で見るように大きな中州である。

中州の中に1979年に事故で有名になった右上に示すような原子力発電所がある。二つのユニットがあり、右側のユニットで事故が起きた。TMI-2 (Three Mile Island Unit 2) として知られる。この事故は、オイルショック直後に、期待された原子力エネルギーに対しネガティブの印象を与えることになった。

事故は 1979年3月28日早朝四時に起きた。計装用空気系に不純物が混入して脱塩塔出入口の弁が閉じ、主給水ポンプ@が停止した。その結果、ボイラーの温度が上昇し、原子炉とボイラーを循環している冷却水の温度が上がり、そして圧力が上昇した。さらに、圧力を抜くために緊急バルブAが開いた。

(TMI-2: 左から原子炉、ボイラー、タービン、冷却塔で構成される)

運転員はバルブAが開いたのを認識したが、圧力が抜けた後閉じたものと考えた。バルブAの開度を示す計器はなかった。実際には、熱により開いたまま固着してしまったのである。原子炉とボイラーを循環している冷却水Bを補給するために、補給ポンプが起動した。冷却水の圧力が下がり沸騰していたため、冷却水系Cのレベルは100%を示していた。運転員は補給ポンプを停止した。また運転員は、冷却水Bの循環ポンプも振動による破壊を防ぐために停止した。バルブAが開き、冷却水Bの量が圧倒的に不足して原子炉の温度が上昇した状態が続いた。ボイラー、タービンを循環している水Dを補給する緊急の補給ポンプがあった。しかし、この補給ポンプは二日前のテストの後、バルブが閉められたままになっていたのである。冷却水Bの循環ポンプが再起動されて冷却されるまで15時間高温の状態が続いた。

もしCO2を根本的に削減しようとするならば、CO2を排出しない原子力発電をいかに安定的に運転するかが重要となる。先に示したように発電のエネルギー源は、フランスは原子力が80%を占め、スウェーデンでは原子力が50%で化石燃料の占める割合がほぼゼロである。原子力発電で主要なエネルギーを賄うのは可能なはずだが、1986年のチェリノブイリ原発事故がさらに安全性の問題に大きな影を投げかけた。

エネルギーの骨格は石油、天然ガス、石炭の化石燃料であと100年は賄える。次に続くのが原子力エネルギーである。これもあと100年以上は大丈夫である。にもかかわらず、再生エネルギーとかクリーンエネルギーとか言われるエネルギーが持てはやされている。量的には非常に少なくコストも高いのに救世主かのような取り扱いである。オイルショックの時と全く同様だ。対処療法としては良いのだが、エネルギーの代替またはCO2の排出量を減らそうとしても根本的な治療とはならない。

再生エネルギーとしてもてはやされているものにバイオエネルギーがある。植物には油脂が含まれる。てんぷら油も植物の油脂に由来する。油脂はアルコールと脂肪酸のエステルである。アルコールはグリセリンで三個の脂肪酸が結合している。このグリセリンを酸かアルカリを触媒として、メタノールで簡単に置き換えることができる。これがエステル交換反応で、できた脂肪酸のエステルは三分の一の大きさになる。沸点は既存のディーゼル燃料に近い。バイオディーゼルと言われる。 

植物の廃棄物を発酵させるとメタノールまたはエタノールができる。エタノール(またはメタノール)をガソリンに混ぜてガソリンを節約することができる。ガソホールと言う (ガソリン + alcohol or アルコホール) 。エタノールの完全燃焼のための空気はガソリンより少ない。そのため車に内臓されているコンピュータ (ECU – electronic control unit) で空燃比を燃料の組成に応じて変えるようにしている。 

日本もアメリカも特許のプロセスはほぼ同じで、出願して1年半後に公開される。これはA タイプと言われる。そのうち審査請求されたもののみ特許の審査がある。そして、特許として認められたものが B タイプである。A タイプの特許で全ての出願されたものが一年半後に見られる。ECU で内燃機関をコントロールするのは日本のお家芸で最近でも多くの A タイプすなわち日本公開特許がある。一方、アメリカの GM, Ford による内燃機関の特許は ECU 関連に限らずほとんど見当たらない。

米国の自動車産業は1980年代、小型で燃費の良い日本車の輸入により、大きな打撃を被った。それが、ジャパンバッシングのひとつの原因にもなった。1983年にアメリカに来たのだが、車を買う時、アメリカ人に意見を求めた。彼は、日本車を買えという。20年以上も前にアメリカの自動車会社がしっかりした対応を取っていれば GMの破綻はなかっただろう。GMは再上場で持ち直したようだが、許の出願状況を見ていると、GMを含めてアメリカの自動車会社は依然として難しいのがわかる。

GM などの自動車会社のあるデトロイトは、私が住んでいるコロンバスから車で4時間である。海を挟んで、向こう岸はカナダのWindsorである。Windsor自体は車が左通行になる以外はアメリカサイドと殆どかわらない。下の写真で写っているのはデトロイトで手前がカナダの Windsor である。手前の橋を渡ったところにカナダの入国管理局がる。カナダにおいては日本の消費税に相当する税金として、カナダ連邦政府の物品サービス税と州税(各州によって異なる)の2種類がある。合わせて12%以上になる。一時滞在者は持ち帰る物品の一部と宿泊料に関しては、入国管理局のそばにある免税店のところでレシートを見せて払い戻しを受けることができる。

35年前に初めて車を買った当時を思い出す。時々エンジンが掛かりにくいことがあったのだが、最近の車はまず問題がない。私が今住んでいるところはシカゴに近い内陸部で、冬はー20℃ぐらいに気温が下がる。それでもエンジンのスタートに問題ない。これも ECU によりコントロールされているからである。今年の春、トヨタの自動車でアクセルの不具合がアメリカで大きな問題になったのは記憶に新しい。問題が複雑になったのは ECU のコントロールに問題がなかったのかどうかである。コンピュータの不具合を特定するのはなかなか難しい。

「ドライバーの意図に反した加速を引き起こすコンピューターの異常や電磁シグナルの干渉の可能性」を調べるため、米運輸省道路交通安全局は航空宇宙局(NASA)に協力を依頼した。トヨタはこれまでに、意図しない加速に関連した電子制御面での問題は見つからなかったと報告した。また、米国の調査でもトヨタの問題がエンジンの電子制御によって引き起こされた証拠は発見できなかった。

有機廃棄物や石炭などを1000℃以上で酸素を制限して部分(不完全)燃焼すると、二酸化炭素の代わりに一酸化炭素と水素を主体にしたガスが得られる。このガスから、フィッシャートロプシュ (Fischer-Tropsch) 反応で炭化水素が得られるので合成ガスと言われる。フィッシャートロプシュ (FT) 反応は工業化されている。南アフリカのサソール (SASOL) 社は有名である。石炭と天然ガスを原料にして種々の合成石油製品を作っている。同国のディーゼル燃料の大部分はこの方法で合成されている。南アフリカでは、アパルトヘイト政策をしいたことにより国際的に孤立して石油を輸入できなかった。そのためにFT反応が用いられてきたという経緯がある。

CO, H2 の合成ガスの組成は次の水性ガスシフト反応で CO と H2 の組成比を変えることができる。

水(あるいはスチーム)は、炭化水素を改質反応で燃料電池用の水素を作るときにも重要である。言い換えるとCO, H2 , CO2, H2O はナフサとはまた別のルートによる化学工業の出発物質でもある。石油化学が始まる前の1955年当時日本でも、石炭の微粉を部分酸化によりガス化するプロセルが化学会社で検討されたものである。従って、合成ガスをベースにしたプロセスは生物資源のバイオマスに限らず化石資源を有効に利用するためにも価値がある。合成ガスの CO は酸素を含むから合成ガスからメタノール、あるいはホルムアルデヒドなどの酸素を含む化合物を合成して他の各種の化合物を合成するのが原単位すなわち効率がよい。これはオイルショック後の1980年から七年間工業技術院の大型プロジェクトの課題でもあった。

石油、天然ガス、石炭の化石燃料はもともとバイオマスである。地球上の炭素は循環していて、量的には一定と考えられる。空気中の二酸化炭素は、炭素の形を変えた化合物である。二酸化炭素は CaCO3 などの無機物と、植物を経由した化石燃料の有機物として循環する。化石燃料を燃やすと元の二酸化炭素に戻る。CO2 は究極的にどこまで増加するだろうか。全化石燃料を燃やすものと仮定して推測できる。1,000 ppm を越えることはない。

CO2 は人類の歴史上は 300 ppm 前後と驚くほど一定であった。しかし、地球の歴史上では下図 に示すようにかなり変動したものと推定されている。

現在より3億6700万年前から2億8900万年前までが石炭紀と呼ばれ多くの化石燃料が生成された時期である。図から、石炭紀の前は CO2 が 4000 ppm であったものとする。可採埋蔵量の確認埋蔵量に対する割合は、石油 が 50 % ぐらい石炭 が 10 % ぐらいと見積もられている。 石炭の可採埋蔵量は、 BP (Britich Petroleum) のデータによると石油の 4 倍である。従って、全ての化石燃料を燃やして, CO2 に還元すると4000ppmの CO2 のうち 25% が大気中に戻ることになる。その量は 1000 ppm である。

再生可能エネルギー (Renewable Engergy) は、地熱以外はもとは太陽エネルギーである。従ってエネルギー密度が非常に小さい。

温暖化対策ということばかりではなく、1973 年のオイルショック以来、再生可能エネルギーの開発には関心が持たれている。現在、コストが高くバイオマス以外はその全エネルギーに占めるシェアーは微々たるものである。以下に水力を除いた、全エネルギーに占める割合いを示す。 

バイオマスのエネルギーに占める割合は日本もアメリカも数%である。バイオマスは空気中の CO2 を固定してできた物質だから、燃やして CO2 が発生しても CO2 のバランスは変わらないという考え方である。しかし、人口増加は続くわけで、食料と競合しない変換とその利用でなければいけない。

太陽エネルギーは密度が小さいく、光から電気へ変換する太陽電池はまだ高価である。昔は高価な結晶性のシリコンが使われていたが、今は値段の安い無定形の薄いシリコン層を使った研究が主流になっている。薄層の半導体を重ねて効率良く電子を流れるようにしたり、色素を混入して変換の効率を良くしたり、光を効率良く反射させたりするような研究がある。日本では、化学メーカー、半導体メーカー、セラミックのメーカー、鉄鋼メーカーなど考えられないようなあらゆる業種の会社が研究を行っている。日本では太陽電池というが実際は電気を貯める装置ではないので電池というのは正しくない。太陽エネルギーから電気エネルギーへの変換装置すなわちソーラーセル (Solar Cell) である。これだけのメーカーが研究しているので、太陽電池は、エネルギー資源への解決には将来とも量的には少ないがかなりのところまでコストは下がるに違いない。

太陽電池以上に研究が盛んなものに、燃料電池がある。燃料電池も太陽電池と一緒で電気を蓄えるのでは電池ではないので正しくはフューエルセル (Fuel Cell) である。燃料電池の主流は化石燃料由来の水素だから本来の意味での再生エネルギーではない。変換効率を上げるものである。何と言っても自動車会社の研究が活発だが、電気メーカーとか電力会社の研究が盛んである。今は基礎的な研究というより製造法、組み立て法など実用的な研究に移っている。燃料電池もかなりのところまでコストが下がるだろう。下の写真はメタノールを使った燃料電池をMP3プレーヤーへ応用したものである。これは直接メタノール燃料電池(direct methanol fuel cell、DMFC)と言われる。

バイオマスを含む再生可能エネルギーの開発を目指すのは良い。しかし、目先の対処療法に捉われ過ぎず、エネルギー資源の根幹を念頭において長い眼でみていきたいものである。エネルギーの開発は継続していくことが大切である。例えば、石炭の有効利用の研究、開発には30年の周期という大きな波が見られる。こうはならないようにしたいものだ。

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